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Michael Kuhn – Arguing about theories and political opinions

コロナウィルス 2 ウィルスとの戦争における国家と国民 -実際には全て普段と変わらず

一見したところ、これまでと同じことは何もないようにみえる。しかし、このウィルスとの戦争において何が起こっているか子細に見てみると、基本的にはこれまでと変わったところはないことがわかる。

このウィルスとの戦争をどう捉えるべきか-これまでと同様、国家は必要な時に助けを差し伸べる存在

この戦争は、国政のリーダーが事態の全体像をどのように捉えているか、ということをメディアが報じることに端を発している。

いつものごとく、今や誰もが知っているように、我々が政治家たちと同じ視点で事態を捉えるべきだという前提で、政治家たちはメディアを使ってウィルスに関する全てのこと、とりわけウィルスとの戦争に関する政綱はどのようなものかということを提示するのだ。

その方法については以下のとおり。

正しい質問をすることはとても重要である。尋ねてはならない質問というものがあり、そういう質問は初めから排除される。まず、最初の質問。なぜこのウィルスに関するつまらない様々なことが存在するのか。

この質問は尋ねてはならないものである。尋ねてしまえば、それは政治家、国家の保健局、そして産業界に対峙することになるだろう。そのいずれもが、前回のウィルス(訳者注:SARSウィルス)が終息した際に十分に利益が出る治療薬を創薬することができなかった。そのウィルスの終息と同時に儲けになるビジネスの保証もなくなり、そのため創薬途上だった研究者たちは家に送り返されてしまったのである。その一方では、これも特別なことでもなんでもなく、ごく普通のことであるが、罹患した国民の数のグラフ曲線が上昇傾向になれば、製薬会社の株価も上昇する。健康というものはひとつのビジネスで、国家が全力を傾注するのだから、良いビジネスと言えるだろう。

なぜ税収が潤沢にあり際限のない資金力のある国家-少なくとも世界の上位国-が緊急事態に十分対応できる賢明な医療システムに国費をつぎ込まないのか、ということも尋ねてはならない質問である。この質問も事態の初めの時点で排除される。なぜなら、この質問に対する回答は政治家と経済には都合の悪いものだからである。世界中の医療システム全体は、わずかな投資で大きな儲けが出るビジネスになるように作られている。費用削減のため、および医療システム全体を利益創出の手段にするために、政治家は医療施設を次々と閉鎖してきた。利益を生み出すべく存在する製薬会社においては抗生物質を製造しなくなり、利益の少ないあらゆる種類の手術を行わなくなった病院は閉鎖に追い込まれた。製薬会社と民営化した病院ではこうしたことが行われており、医師に至っては製薬会社と病院の両方からその利益配当をもらっている者もいる。違った設定であればある種のマフィアと呼ばれるところであるが、この慈善的なビジネスマンのネットワークは「我々の医療システム」と呼ばれ、我々全員が現在関与しているこのシステムを我々自身が救わなければならないのである。

現在の医療システムにはこのような背景があり、上記の目的を果たさず普段の症例数を超えたウィルス治療のみに医療システムが利用される時、全ての患者の声よりも多くの不満が噴出するのである。このような状況下では医療システムビジネスは機能しないため、全く儲けにならない治療を要する多くの患者から医療システムは保護されなければならないのである。こうなると、医療システムにはとりわけ国家からの保護が必要となる。どういうことかは誰もが知っていると思うが、次の点を見てみよう。

このウィルスについてどのようにしてこんなくだらないことが起こったのか、治療薬のない状態と今回の事態に準備ができていなかった医療システム、これらのことを考えた上で頭に浮かぶ疑問などを考えてみると、これら全ては政治と経済に関係があることがわかる。政治と経済は全てを決定するのに、その全てとは関わりを持ちたくない。物事がうまくいかなくなると、上記のような疑問や思考は禁止されるのである。政治は、非常時に登場した助っ人のように、そして何も誰も止められない戦時下のリーダーが必要な軍備をしてその臣民を戦いに導くかのように、現在その存在を示しているのである。この印象はあてにならないかもしれないが、一部の政治家は、この布告された戦争も彼らが国家のリーダーとして登場する機会だと信じて疑わないのである。

自身を助っ人として、あるいは司令官として、メルケル、トランプとしてその存在を示すのか、様々な解釈が可能であろう。

戦時の偉大なリーダーとして振舞うのも、医療政策と経済的利益のある医療システムの保護により国民をひどい目に遭わせた国家が国民の偉大な助っ人として振舞うのも、実際は至極普通のことである。政治家が国民に問題を提示する際にはいつもこのような手法を使っているのだから。公的な権威にある者はいつでも非常時の助っ人のように振る舞うが、その非常時の問題を引き起こしたのは大抵いつも彼ら自身以外の何者でもない。物事の全てを決定する反面、必要な時に責任を取りたくないというのは彼ら以外に誰がいるだろうか。時に、ビジネスと政治の役割分担がうまく機能する場合がある。失業者の例を見てみよう。失業者は、経済に関する全ての法令を取りまとめた政治によってのみその存在が生み出される。仕事の成果が上がらなければクビにするのは何の問題もなく、そのあとは失業手当を支給すれば良いのである。ところで、失業手当というものは、納税者である国民が仕事についている限り自分自身のために支払っているものであるが、国家はまるでかわいそうな失業者を救うために国家の財源から払っているかのように振舞っているのである。どこの国でも全てはこんな風に行われている。同様に、国家の医療政策と治療薬のない現状でのウィルスとの「戦争」全体に巻き込まれた病人であれ健康な人であれ全ての人に対して、このウィルスに感染した病人の治療は国家からの救いの手のように描かれている。

独裁的なタイプとして自分自身を売り込むこともまた政治家の間では相手を出し抜くための嫌味な策略的自己描写ではなく、リーダーの資質のある政治家として他の政治家と区別するものである。そして、これは今に始まったことではなく、まさにそのような態度こそがこの職業の本質に合致するものなのである。

(Translated from English to Japanese by Kazumi Okamoto)


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